ジョジョ論 7 「ジョジョの奇妙な預言者」

  • 2013.04.28 Sunday
  • 09:52
 素数は「1」という数字としか連結していない。この「1」というのが彼にとっては「神」つまり真理なのである。



 荒木飛呂彦は『ジョジョの奇妙な冒険』の作品全体や作者コメントにおいて、「悪」の定義として自分の目的のために他人を犠牲にする人のことだ、ということを何度も示している。 当然エンリコ・プッチ神父を含めて「悪」として描かれてきた人物たちはすべて、この定義を踏襲している。そこでどういう人間がそういう振る舞いをするのか、ということが人物の創作の根幹となる。
 第六部の序盤でそのプッチ自身(ホワイトスネイク)が「サンダー・マックイイーン」という人物を通して語っている(S・O3巻)。「自分ヲ被害者ダト思っている」「他人を不幸に巻き込んで道ずれにスル真の邪悪ダ」と。このマックイイーンに対する評はまさにプッチ自身のことだが、これはプッチ自身が自分をそういう人間だと「思っていない」ということによって、自然に再現されることになる。マックイイーンは読者に対する練習問題としても、プッチが自分の特性に無自覚であることを印象付けたという意味でも、上手く機能したキャラクターだったと言えるだろう。

 別ジャンルの作品になってしまうが、この『ジョジョ』第六部連載とほぼ同時期に日本で放映されていた 『スタートレック・ディープスペースナイン』というテレビドラマ作品において、主人公のライバル的な存在のガル・デュカットという人物がいた。彼は当初尊大ではあるが優秀な人間に敬意を払うところがあり、一見悪人なのか単にライバルなのか、わからない演出がされていた。しかし物語中盤で彼は悪霊の力を手に入れて、レギュラーキャラであるジャッジア・ダックスという人物を殺す、というシーンが描かれる。とあるものを盗むために密室に突然あらわれて、その場に偶然居合わせたジャッジアを有無を言わさず殺すのである。そしてデュカットは顔見知りでもあったジャッジアの顔を見ながら、その額に手を当てて、いたたまれなさそうに「いまさら言っても遅いが……君を傷つけるつもりはなかった」とつぶやくのだ。
 ここだけ見れば、デュカットもまた自分の大儀のためにジャッジアを殺してしまったことに傷ついている、と取ることもできるだろう。しかしぼくはこのシーンを見たとき、これは恐るべき「悪」の演出だ、と思った。おそらくデュカットはここでジャッジアの顔を見ながら、 ジャッジアのことを想っていない。そのように振舞おうとしているに過ぎない。誰も見ていないところですら、善人のように振舞おうとする悪人、というものはもはや手の施しようがないほどの悪だ。

 ぼくはマックイイーンとプッチを見たときに、このデュカットと同じものを感じた。プッチがウェザーに追い詰められて、とどめを刺されそうになるシーンをよく覚えている人は多いのではないか。「お前は………自分が『悪』だと気づいていない…もっともドス黒い『悪』だ…」とウェザーに本質を喝破されている、まさにそのコマで彼は「19」と素数を数えているのである(S・O16巻)。これは個人的に『ジョジョ』でもっとも戦慄を覚えたシーンの一つだ。

 素数は「1とそれ自身でしか割り切れない孤独な数字」であるので自分に勇気を与えてくれる、 という彼のクセはあまりにも彼の性質を象徴していて見事である。これも一見、プッチも自分の大儀のために勇気を得る必要があり、彼も孤独ながら自分の考える思想を追い求めたのだと好意的に取ることもできる。しかしこのクセで表現されているのは彼の「他者性」の無さである。素数は「1」という数字としか連結していない。この「1」というのが彼にとっては「神」つまり真理なのである。そして素数は自然数が増えれば増えるほど現れる頻度が減少していく。無限に大きな数の果てにはどんどん孤独な存在になっていくが、常に「1」との連結だけはあり、他のすべての数字とは断絶されているのだ。彼にとっては自身よりも小さな素数は常に彼の信仰の中で存在している預言者や聖人なのだろう。つまりアブラハムでありモーセであり、イエスであり、そしてDIOなのだろう。そして「それ以外の数」は決して自分と交じり合うことのない多くの「他者」たちなのである。もっとも大きな素数である彼は、無限に時を加速させて「天国」へと人びとを導かなければならないが、彼はその「他者」たちのことを想ってなどいない。死に瀕しても素数を数える彼は、ウェザーに耳元で自分の本質を囁かれてすら、ウェザーのことを想っていないのだ。

 このような恐るべき悪であるプッチの性質は、どのように形成されたのだろう。彼の生い立ちとウェザーとの関係については連載三回を使って重厚に描かれており、そこでは何度も読者に問いかけるようなナレーションが入っている(S・O15巻)。「ここから先に起こる事は読者であるあなたに判断していただきたい」「結末はいったい誰の罪なのか?」「いったい本当に罰せられたのは誰なのか?」。これらの問いかけは難解であるが、作者がプッチ神父という悪が形成されたことの謎解きとして用意したものであることは間違いないだろう。

 プッチは妹ペルラが死ぬことによって復讐に手を染め、そこで初めて悪に目覚めたようにも見える。しかし本当にそうだろうか? 彼は自分の双子の弟が生まれてすぐ死んだということを母親に聞かされたことで神父になる道を選んだ。「運命はなぜ自分ではなく弟(の死)を選んだのか?」という彼の自問は、反転すれば「なぜ自分が生かされたのか?」となる危険な問いでもある。
 彼はまだ神父でもないのに告解室に入り、ウェザーの育ての母の秘密、つまり弟の存命を知ってしまう。そして妹ペルラが血のつながった兄であるウェザーと恋に落ちてしまったことに慟哭するが、秘密を明かすことではなく、「なんでも屋」に弟を脅しつけさせて手を引かせる、という方法で解決を図ろうとする。「妹が傷つくことだけは絶対に避けなくてはならないッ!」と言うプッチがここで優先させているのは何であるのかをよく見極めなければならない。確かに告解の秘密を守ることは聖職者の義務ではあるが、そのために金と暴力によって解決を図ることが神の教えであるはずがない。彼が優先させているのは明らかに自分の「聖職者としての人生」であり、ここで彼はすでに本当の自分に眼を背けて、「誰も見ていないところですら」自分は妹のための最善を行っているということを確信するためのセリフを吐いているのだ。

 弟ウェザーはペルラを死なせてしまったことに絶望し、何度も自殺しようとし、また「なんでも屋」に近づいて復讐を果たす。翻って兄プッチは「なぜ人と人は出会うのか」という問いを繰りかえす。プッチは「これからはなんでもするぞ」「たとえ殺人でも」と言う。そしてウェザーに「あんたの妹ペルラはあんたの依頼でこうなったんだ」と言われて「違う。わたしはおまえの『兄』だからだ」と答える。自分の行為の中身よりも「運命」という「引力」のせいだというわけである。
 彼は幼いころから「なぜ自分の死が選ばれなかったのか」=「なぜ自分の生が選ばれたのか」という問いを繰り返してきた。プッチがDIOに出会った時に読んでいた本は「フィリッポ・リッヒ」というフィレンツェ派の画家の伝記だった。前回言ったように、作中ではプッチ家はヴェネツィアが由来ということになっているが、実在するプッチ家はフィレンツェ由来であり、リッヒはプッチ家との関連性もある人物である。これは家系に関連する書物を読んでいるプッチは、15歳ですでに自分の運命というものに傾倒し始めていたということの示唆ではないか。プッチはすでに自分は「運命に選ばれた」存在だと感じてしまっていたのではないか。「ドス黒い『悪』」だとウェザーに言われたシーンの直後、プッチはウェザーに向かって「呪われているくせに」「おまえはわたしが生かしておいてやったのだ」と言う。これらはこの時点だけではなく、双子の弟が存命であることを知った瞬間にも存在した彼の凶悪な本音なのではないだろうか。

「運命に選ばれた」というセリフは第五部でディアボロが何度も繰り返していたものでもある。プッチの「ホワイトスネイク(魂をDISCにして取り出す)」はジョジョ論5で述べた「キングクリムゾン」の「自分以外の精神を吹き飛ばす」という能力と同様に、精神の断絶を生む非常に独善的なものである。そしてこの断絶の能力は自分が他者を支配しうる「選ばれた者」であるという信念から来る能力なのだろう。(第四部において、岸辺露伴は独善的でやっかいな「敵」側の人物として登場し、当初はスタンド「ヘブンズ・ドアー」で「本」に変えた相手の「ページを破る」という断絶的な振る舞いをしている。が、その後広瀬康一と友人になり、「味方」側の人間になったあとにはそのような描写はない。善の側に似つかわしくないからだろう。)


 第五部ではその運命に選ばれたはずのディアボロは、それを自ら切り開く意志を持つジョルノ・ジョバァーナたちによって滅ぼされることになった。しかし第六部では運命の力は圧倒的に強く描かれ、プッチは何度も危機を克服して最終目的である宇宙の一巡まで果たしてしまう。そして前回話したように、作者は自分自身の感覚から運命というものを肯定的にとらえて、コメントでそのことを思いながら読んでほしいとまで言っている(S・O17巻)。

 対比される主人公たちの、運命に対する意志というものはこの第六部ではどのように描かれているのか。

 まず主人公空条徐倫のスタンドがすでに「ストーン・フリー」と名前に「自由」を冠している。石=牢獄からの自由であると同時に「運命」からの自由ということだろう。このみずからの身体を「糸」に解きほぐす、という能力によって、破壊によって呪縛を打ち砕くだけではない、女性らしい繊細な意味での「運命からの自由」というものが表現されている。
「ロッズ」を支配して攻撃させるというリキエルの「スカイ・ハイ」との戦いの最後に、リキエルは徐倫もウェザーも、プッチ神父の運命を「押し上げる」ためにいるということを理解したと言う(S・O13巻)。徐倫は沈黙するが、その後作者はリキエルの支配から解放されたロッズたちが、これからも「あくまで自由」だということをページを割いて描いている。運命を支配しようとするプッチやリキエルと、徐倫の自由の意志というものを対比させているのだ。
 徐倫が『ジョジョ』において特徴的なのはかなり未熟で無茶をする主人公だということだろう。危なっかしい方法を躊躇なく選択し、しかしその命がけの姿が仲間に影響を与えていくということが、全編を通して何度も描かれている。

 そしてまさに徐倫によって人間性を得たF・F(フー・ファイターズ/エフエフ)。彼女の一生は、人間によって作られた命が、むしろ人間以上に人間らしさを獲得するという、かなり伝統的なSFのテーマを踏襲したものである。人間らしさを学ぼうとして「あえて逆をやってみる」のような奇妙な行動(S・O6巻)を取ってみせるのは、先にも例に出した『スタートレック』などのファンにはおなじみのパターンだろう。
 彼女が学んだ人間性とは、人間は「思い出」によって生きるということ、そしてただの「記憶」ではなく「思い出」こそが人間だということである。これは言い換えれば人間とは「物語」だということだ。F・Fは徐倫の、他者のために命を賭ける行動を見てそれに感化され、「きっと『いい思い出』が彼女の中にあるためなのだ」「それが人間のエネルギーなのだ」「それが知性なのだ」と考える(S・O10巻)。プッチ(ホワイトスネイク)は「おまえに『知性』と『能力』を与えたのはわたしだ」と言うが、F・Fは「徐倫のことを考えると勇気がわいてくる」「これこそが『思い出』なんだ」「これこそが『知性』なんだ」と思う。
 F・Fは徐倫という他者の存在に影響を受け、その意志を受け継ぎ、最後には自分の命をアナスイに与えて死んでいく(S・O11巻)。F・Fは最後に徐倫に別れを告げる。友達に「さよなら」を言えないまま死ぬ事が怖かったが、それが言えてよかったと。これはまさに彼女が自分という存在が「他者」の中にいる物語であることを悟っていたことの証左である。

 次にナルシソ・アナスイ。第五部でディアボロとの対比がもっともわかりやすく描かれたのはアバッキオであったと思うが、その演出の構図としてはアナスイはアバッキオによく似ている。
 アナスイのスタンド「ダイバー・ダウン(対象の内部に潜行する)」は当初彼の「対象を分解せずにはいられない」という性癖・異常性を表しているものとして印象付けられている。しかし最終局面において彼が承太郎を守り、そしてさらに味方全員の内部に潜行することで「プッチの最初の攻撃を自分が引き受ける」という提案をするとき、その精神性は「他者をつなぎとめる」というものへと、つまり「分解」から「連結」へと見事に反転している(S・O17巻)。物語の感動はこういう自明性の背後にある本質が明らかになり、価値観が反転する瞬間にある。
 アバッキオの「ムーディ・ブルース」の「過去に起こった事を再生する」という過去への拘泥が彼の正義感の裏返しであったように、アナスイの「対象の内部に潜行する」という能力もまた、彼の他者への深い愛情の裏返しだったのだろう。そしてこのアナスイの変化もまた、徐倫やF・Fやウェザーという仲間からの感化によるものなのだ。アナスイは「F・Fの借りはオレにもある」(S・O15巻)、「死んでいたオレを生き返らせてくれもののためには命を賭けれる」(S・O16巻)と言っている。

 エルメェス・コステロのスタンド能力「キッス(シールを貼ると物体が二つになり、はがすと元に戻り、そのとき破壊がある)」が、彼女のどういう精神性を表しているのかはちょっと考えてみてもわからなかった。エルメェスといえば姉を失ったことへの復讐心と強い正義感だが、それとの無理な関連付けはしないでおこう。徐倫との友情については言うまでもないだろう。
「キッス」において興味深いのは「一つのものを二つにする」という不自然な現象に「破壊」という帰結が与えられていることだ。これはまさにプッチの運命そのものではないだろうか。双子の弟を自分の運命を押し上げるために記憶を奪って生かしておき、そして最後にはその弟のDISCつまり魂と再び出会うことで滅ぼされる。この概念は次作『スティール・ボール・ラン』でも再現されている。他世界の自分と出会うと引き寄せられて破壊が起こり、死んでしまうというものである。これはドッペルゲンガーの伝説の荒木流の解釈といったところではないだろうか。不自然なものにはそれ相応の因果的帰結があるという、素朴ではあるがやはりファンタジーとしては必ず踏襲しなければならない自然主義的な思想が、荒木飛呂彦の中にはあるのである。

 運命を強烈に味方につけ、達成されたプッチの宇宙の解説図に「人は『運命を切り開く』と考えられているが もしかしたらその切り開くことすら 運命の中に組み込まれているのかもしれない」とある(S・O17巻)。自分だけは運命に選ばれ、その外にいると思っていたプッチだが、弟ウェザーとの因縁だけは切ることができなかった。そしてその因縁はウェザーが死に瀕して残したDISCを徐倫に託し、またその徐倫がエンポリオに託したことによって紡がれたものである。そしてもちろんその徐倫の意志というものは承太郎から受け継いだものであり、言うまでもなく承太郎のそれはさらに以前のジョジョたちから受け継いだものなのだ。
 第四部でもあったように、承太郎登場時近くの回の扉絵で、名前の漢字の意味が表記されている(S・O2巻)。

『承』―ーけ継ぐ。受けたまわる。

『徐』―,罎辰りとしずかに。
『倫』―/佑亮蕕襪戮道。△覆ま。

 徐倫が『ジョジョ』の中で久しく見られていなかった未熟な主人公として描かれていたのは、成長というものを描くためだったのだろう。しかしその成長とは単に心が強くなることではなく、「人の守るべき道」を「受け継ぎ」、またそれを「ゆっくりとしずかに」「仲間に」伝えていくということだったのである。
 何度も書いていることだが、『ジョジョ』においてはテーマは語られるよりもむしろ背後に隠されている。他者性の欠落したプッチは「運命」というものをしきりに口にしながらも、それを克服することができなかった。「ゆっくりとしずかに」他者に影響を受け、また与え続けた徐倫たちにおいてこそ、「運命」は紡がれ、編み出されていったのだ。第五部が「切り開かれるべきもの」としての運命の表現だったことからさらに進んで、第六部では「紡がれるべきもの」としての運命が描かれたのである。

To Be Continued...
コメント
ストーンオーシャン読み直す気になったよ。
週間連載では荒木のよさが伝わらんなあ〜
JET!とかって書いてないもの・・・
ジャピンじゃもったいないな
  • ドッグマスク
  • 2013/04/30 12:15 AM
ドッグマスクさんのようなトレッキーにこの記事を読んでもらえると、たいへん嬉しいです。

荒木さんは攻撃するときに技名とかスタンド名を叫ぶのは、車田先生の影響と言っていましたよ。
やや厳しいツッコミを入れるとすれば、そもそも荒木
氏の言う「運命」とは何なのか。物理学的に言うならそれはラプラスの悪魔のような決定論になり、量子力学の確率論、つまりシュレティンガーの猫によって反駁される。ジョジョの世界において運命がすべて神によって支配されており、それを登場人物が意思の力で切り開いていくという解釈なのか。
  • 卍丸
  • 2013/05/04 12:19 AM
ジョジョにおける神を荒木とするならば、登場人物達は作者の完全な意図の下にあるとも言える。しかしそれだと時に意思の力で因果律を変えてしまうということの説明はつかない。ただキャラが独り立ちすることがあれば、その時は作者の意図を超えた動きをするということか。その意味だとプッチは所詮、荒木氏の想像の範疇に収まるキャラということだったのだろうか。
  • 卍丸
  • 2013/05/04 12:25 AM
長文スマソ。続きは不夜城で。
  • 卍丸
  • 2013/05/04 12:27 AM
>卍丸先輩

運命論・決定論というのはなかなか難しいテーマですね。プッチもあれだけ描いているのだから、色々と勝手に動いたのではないでしょうか。プッチを「所詮」という文脈で語るとすれば、やはり「所詮悪」ということなのだと思います。そして悪は滅びるけど、それはそれでスゴイ、というのが「ジョジョ」の思想ですね。

量子論はきちんとは理解してないですが、荒木さんは次のSBRの大統領には明らかにその概念を踏まえた思想を預けていますね。いつもながら的確な一打です、先輩。不夜城連絡も的確に、早めにお願いしますm(_ _)m
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